一緒に旅をしている気持ちになってくれたら嬉しいです(´∀`)
※ここまでのお話はこちらでどうぞ
⇒ チェンマイ・マイラブ-2014年秋 Index
二十二 リターン・バンコック |
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旅の十一日目、十一月十五日、チェンマイ駅に着いてぶっかけ飯をかき込み、辛さで汗が滴り落ちる中、シゲさんに「17時の列車でバンコクに向かいます。また日本で会いましょう、Iちゃんを宜しくお願いします」とLineを送った。 「もう出発ですか〜?日本で会いましょう。Iちゃんのことは了解です!」とすぐに返事が届いた。少し慌ただしい感じでチェンマイを後にすることになってしまったかも知れないが、それもまた良いだろう。 チェンマイ駅を17時の定刻通りに出発した列車は、しばらくは町外れの情緒的な風景を窓外に見せていたが、やがて無常にも日も暮れて来るとともに、映りゆく風景は薄暗い田園風景の奥にポツンと家の明かりが微かに点っているだけになり、次第にこころ寂しくなってくるのであった。 しばらくすると乗務員が夕食や飲み物の注文を聞きに回ってきた。ぶっかけ飯で腹が膨れている僕は「ノーサンキュー」と返事して、iTunesの音楽を聴きながら窓の向こうの暗闇を見続けた。 こうなるとダメである。様々な思いがこころに移り替わりやってきて、帰国後すぐに直面しないといけない問題や、大阪の妻の病状など、果ては過去の失敗や選択誤りなどに後悔の念が奥底から湧き上がってきてやり切れない思いに襲われてくる。 そのうちに乗務員がベッドメイクにやってきた。いつものことだがタイの寝台列車は普段は向かい合わせの席なのだが、それがまるで魔術にでも遭ったかのように、ガシャーン、バキーン、ガタン、ドッスンバリバリ(笑)ってな音を立てたあとは、綺麗に上段下段のベッドメイクが出来上がっているって寸法である。 今夜は幸運にも下段のベッドを得られた僕は、とっとと寝ることにした。相変わらずiTunesの音楽を耳にしながらいつの間にか眠ってしまった。 翌十一月十六日、目が覚めるとすでにバンコク市内に入っており、薄暗い街並みは動き始めていた。見覚えのあるドムアン駅を通過するころには夜も明け、道路は忙しく動き出して屋台は朝食の準備に忙(せわ)しない様子が窓の外に映った。今日も天気が良さそうだ。 昨夜十七時にチェンマイを出た列車は、バンコク中央駅・ホアランポーンには午前七時過ぎに到着した。今日から三泊は、またEZステイゲストハウスに世話になるのだが、朝早くに訪ねるとオーナーさんの迷惑になるだろうと、しばらく駅構内の椅子に腰をおろし、時間を潰すことにした。 すると午前八時の時報とともにタイ国家が流れてきて、駅構内の警察官や警備員たちが直立不動、周りのタイ人や欧米人、さらには袈裟を纏った僧侶まで同様だ。 素晴らしい瞬間である。日本にもこういう習慣があればいいのにといつも思う。 午前九時を過ぎたので、MRT(地下鉄)ホアランポーン駅からQueen Sirikit National Convention Center(クィーンシリキット・ナショナルコンベンションセンター)へ出た。 一週間ぶりに戻ってきたバンコクEZステイゲストハウスは、当たり前だけど滞在者は全て入れ替わっていた。でもその中にチェンマイに着いた初日にIさんと一緒に晩ご飯を食べたМ江さんの可愛い笑顔が見えた。 「やあどうもPeroです、じゃなかった、藤井です。先に着いていたんですね」 |
二十三 Narayaへ突進 |
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旅は残すところこの日を入れてあと三日。メモをしない僕だから記憶に辿り、撮った写真を手立てに旅行記を書いているが、この日と翌日の記憶があまり明確ではない。 分かっているのはこの日はMRT(地下鉄)とBTS(スカイトレイン)を乗り継いで、昼ごろにビクトリーモニュメントへ着き、長月をちょいと覗いてからオーナーのMさんと彼の友人で貿易商のGさんとで、ランナム通りの美味しくて安いタイ料理店へ行ったことである。 到着日にラチャプラロップの夜を楽しんでいますが、同じメンバーで、相変わらずGさんは元気である。 到着日夜の様子はこの旅行記・その一に記述しています ⇒ http://perorin.sakura.ne.jp/chenmai%202014-1.html#iti 「チェンマイ、どないでした?」(Gさんはバリバリの大阪の人) 「良かったですよ、何度行ってもチェンマイは落ち着きますね。楽しい経験ばかりだからそう思うのでしょうけど、ともかくいい旅でした」 「早いこと日本を引き払ろうてタイに来なはれな」と、彼はニコニコしながら言うのであった。 ここのタイ料理は料金の割には僕が今まで訪れたタイ料理店の中ではダントツだと思うくらいで、欧米人や日本人はほとんどいなくて、客は地元のタイ人ばかりということからもそのことが窺い知れる。 Mさんがチェンマイはいかがでしたかと聞くので、「具合がイマイチ良くなかった左脚がほぼ完治しましたよ。チェンマイで知り合ったIちゃんというすごく明るくて良い子のおかげなんですよ」などと報告し、知り合った日本人の旅行者やゲストハウスのカフェが最高だったなどを話していると、「その子、うちの店に来ましたよ」と言う。\(◎o◎)/! 「そんな偶然があるはずないですよ」 「いや、きっとその子ですよ。大阪の女の子」 iphoneで撮ったIちゃんの画像を見せると「間違いないです、この子!」とMさんが興奮気味に断言する。 なんでも、Mさんの店の常連さんで、七十歳前後の悠々自適の日本人マダムがいて、彼女が長月の近くのマンションに住んでいて、同じマンションに住んでバンコク市内のコールセンターに勤めている若い男性とマダムと写真のIちゃんが一緒に来たというのであった。 タイ料理店を出て長月に場所を移し、ビールを飲みながらIちゃんに「長月のオーナーがIちゃんが来たって言うんだけど、本当かな?」とLineを送ってみた。 すると間もなく「その店行きましたよ!偶然ってあるんですね〜」と驚きの返信が届いた。いや、まあ本当に偶然なんだなぁ。 ずいぶんと酔っ払って長月を出て通りをグングン歩く。インド人通りにかかると買い物客でごった返しているが、インド人やファランやチャイナやコリア人らとぶつかりながら、押し倒しながら酔った勢いで伊勢丹を目指す。 伊勢丹に到着、一階にNarayaがあると聞いていたので中に入るとすぐに見つかった。でもすごい人である。 僕はNarayaの商品には全く興味がないのだけが、数年前からある女性からタイに行くたびにバッグやティッシュケースやメガネ入れなどを頼まれるので、これまでマーブンクロン店やスクンビット店を何度か訪れている。だが、伊勢丹の店は初めてある。 メールで「これを買ってきて!」と指令が届いていて、若いタイ人の女店員さんにiphoneの画像を見せて「これと同じもの、有りまっか?」と聞くと、「ありまっせ!、これちゃいまっか?」とタイ語の大阪弁で答えてくれる女店員さん。(なわけあるはずないか) さて、翌日は夜にラマ9世通りにある、何度か訪れているイサーン料理店へ行く予定だ。 |
二十四 イサーン料理店へ |
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一緒に旅をしている気持ちになってくれたら嬉しいです(´∀`) 年内に昨年のこの旅行記を終了させるために、今回は猛烈に端折ります。(笑) さて、旅の十三日目の十一月十七日は、前日飲み過ぎたせいもあって、ゲストハウスのリビングに出たのがもう昼前であった。EZステイゲストハウスのあるロンポーマンション内には、ムエタイの練習所があって、ちょうど僕がチェンマイに行っている間に、ムエタイの短期経験コース(こんな名称かどうかは分かりませんが)に入門するために静岡県からやってきたAK君がリビングにいて、シャドーボクシングの格好をしていた。 この日の夜は、今回の旅の三日目、僕の誕生日の夜に長月でお会いした日系企業につとめるA氏と再会する約束をしていた。 店は地元のタイ人がよく訪れるというだけあって、安くて美味しいと有名らしく、我々が店に入った時には半分程度席は空いていたが、アッという間にいっぱいになっていた。 チムチュムというイサーン土鍋料理はタイスキに似ているような似ていないような(どっちやねん)味のスープが入った変わった形の小さな土鍋に、豚肉やエビやイカや、要するに肉や海鮮物をブッ込んで、その上に笹の葉に似た(レモングラスとかかな?)野菜や白菜とかを入れてグツグツ煮立ってから、特性の辛い味噌のようなものとスープを取り皿に入れていただく。(分かりにくい説明だけど) A氏と彼女との隠れ名店を訪れたので写真は撮っていませんが、以下のような料理です。 「今夜も楽しくて、イサーン料理も美味しかったです。また、バンコクに来たらお願いします」 「また行きましょう」 ふたりとラマ9世駅で別れてタクシーを拾い、前日に続いてラチャプラロップ通りにある長月へ少しだけ顔を出した。 「Aさんの彼女も一緒だったんですか?」 「そうですよ」 「どうです、彼女」 「羨ましいくらい可愛いですね。僕も若くて可愛い女の子が欲しいですわ」 なんて、厚かましい会話をしながらビアリオを飲み、かなり酩酊しながらもタクシーを拾わずにBTSのビクトリアモニュメント駅まで十五分ほどフラつきながら歩き、今度はアソークで地下鉄に乗り換え、クイーンシリキッド駅で降り、暗い夜道の通りで営業するクイッティアオ屋台で臓物入りクイッティアオを食った。 トータルすると七十バーツ近くも交通費がかかるのだから、タクシーでもおそらく100バーツ程度で帰れるはずなので、思考能力がやられるほど飲んでいるのだなぁとフラフラしながらゲストハウスへ帰った。 リビングにはM江さんやAKさんや、その他皆さんがいてくつろいでいた。 「藤井さん、明日どこかへ行く予定、ありますか?」 M江さんが聞く。 「地獄寺!」 「は?」 「スパンブリーというところにある地獄寺、行きましょう!」 M江さんとK音君が「何ですか?そのお寺」と口を揃えて聞いてきたので、簡単に説明をした。地獄寺はこれまで三度も訪れているが、やっぱり再訪したくなるマニアックなお寺なのである。 「行きましょう!その地獄寺」 話は決まった。 だが翌日、アクシデントが起こるのでありました。 |
二十五(最終回) ワット・パイロンファ |
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二十五(最終回)・・・昨年中に完結する予定が年を明けてしまいました、ようやく最終回です。 ※ここまでのお話はこちらでどうぞ さて、旅の十四日目の十一月十八日(2014年ですよ)、いよいよ明日は帰国だが、EZゲストハウスに滞在していたK音君とM江さんが、僕が提案したスパンブリーにある「地獄寺」詣でに対し、「行きましょう!その地獄寺」と同意するので、今朝は早起きしてとっととシャワーを浴びて、ロンポーマンションの前にある店でクイッティアオの朝食を済ませ、用意万端となった。 ふたりも既に出陣の準備は整ったようで、1階のフロントでタクシーを呼んでもらい、とりあえず南バスターミナルへ向かった。僕が助手席に、二人は後部座席に乗り込み、「サイターイ・マイ!」と告げた。 「オッケー、サイターイ」と運転手。三十代後半くらいだろうか、少し陽気そうな感じの良いドライバーである。 車はラマ四世通りを西に向かい、「ハイウエイ、オッケー?」と聞くので「乗ったらんかい!」と返事、高速道路をグングンと走り続けた。 安心する僕は後部座席のふたりに、「ビックリするようなお寺ですよ、覚悟してね」「本当にエアコンバスではないですからね」などと、脅かしたりしていた。だが、前方をずっと見ていると、タクシーは高速道路をドンドン北へ北へと走っているように思うのだ。目的地は南バスターミナルだが、このまま真っ直ぐに走り続けると、モーチット・マイ(北バスターミナル)やドムアン空港に行くのではないのか? 僕は北バスターミナルではなく、南バスターミナルへ行ってくれとドライバーに伝えたつもりであった。 「サイターイ・マイ?」 南バスターミナルへ向かってる?というふうに彼に問いかけてみた。 「ハァ?」 「この道をまっすぐ行くと、モーチット・マイへ行きまっせ。ノー、モーチット・マイ、ゴートゥーサイターイ・マイ!」 こう言うとようやく彼は「オー、サイターイ・マイね、オッケーオッケー」と笑いながら、そして少しバツが悪そうな表情で言うのであった。 高速道路をすぐに降りて、グルリンと回ってチャオプラヤー川らしきところへ出て橋を渡り、渋滞中の道路を掻き分けて、何とか南バスターミナルへたどり着いたのだが、彼は自分が聞き間違ったことを照れて、終始「サイターイ・マイ、サイターイ・マイ」とつぶやきながら苦笑いをしていた。 さて、バスターミナルで降りて六十八番バスを探すと、メインの各方面行きのバス出発位置から少し離れた位置に、あたかも遠慮深そうにポツンとオレンジ色のノンエアコンバスが我々を待っていた。 「これで行くんですか?」とM江さん。 「そうそう」 「立派なもんじゃないですか」とK音君、所在無げにベンチに座ってスマホをいじっている運転手に「いつ出発?」と聞くと、まだ三十分ほどあととのこと、バスターミナルに戻って水を買ったりブラブラとしていると時間となった。 出発時には半分程度の客だったのだが、途中のバス停で次々と客が乗り込み、田園風景しか見えない道路を走り続けるころにはほぼ満席となった。 僕は過去に三度も訪れているから、ワット・パイロンファへの道や周辺の風景は記憶している。と言っても、まあ周りには何もないのだけどね。 さて、バスの車中では三人ともぼんやりと風景を眺めている感じで、それほど蒸し暑くもなく、窓からの風が心地よく感じられ、うたた寝などをしているうちに一時間半近くも走れば進行方向の右前方に見覚えのある巨大仏像が見えてきた。 「ワット・パイロンファ!」と中年女性車掌に叫ぶ。 「カー!」と返事する車掌さん。決してカラスの真似をしているわけではありません、「そうですよ〜」と仰っているのですね。 バスを降りて三人は延々と続く自獄寺への道を歩くのでありました。 ここから先は、グダグダと能書きや講釈は垂れません。以下の画像をご覧下さい。M江さんもK音君も、しばらくは絶句していらっしゃいました。でも人間は慣れてくれば大丈夫、「おかしな仏像ですね〜」「何ですか、これ?」てな感想を述べながら、笑ったり顔をしかめたり、ついには呆れ返った表情にも見えました。 ワット・パイロンファ、小一時間も見て歩けば誰もが食傷気味になるお寺です。でもまた、何年か経過すると、「あれからどうなっているのだろう?」と、人を心配させ引き寄せる不思議なお寺なのであります。 帰りのバス停は屋根付きの小さな板小屋でした。少々疲れた三人はバンコクへの帰りのバスを待つ。 「このバス停、時刻表がありませんね〜」 ふとM江さんがつぶやいた。 −了− ◆最後に 2014年、一昨年秋の二週間ほどのバンコクとチェンマイの旅行記でした。完結させるのに一年ほどもかかってしまい、昔ぼくがメールマガジンを六誌ほども配信していた頃のバイタリティの欠片もなくなってしまいました。 短期でも旅は楽しいものです。様々な人との出会い、非日常の世界では視界に入るものや時間の経過が格別なものに感じられるのは不思議ですね。 |